夜、寝る前にふと考えてしまうことはありませんか。「このまま、ここで処方箋をさばき続けるのかな」と。管理薬剤師の打診が来たり、在宅の件数が増えたり、同僚がまた一人辞めたり。そのたびに頭をよぎる「転職」の二文字。でも翌朝にはいつもの監査業務が始まって、考えるのを後回しにしてしまう。
この「モヤモヤ」の正体は、実は「不満」ではありません。整理ができていない状態です。中原淳氏・小林祐児氏らが12,000人規模の調査をもとに著した『転職学』(KADOKAWA, 2021)では、転職の意思決定を「D×E>R」という方程式で説明しています。この記事では、その方程式を薬剤師の働き方に翻訳しながら、「判断できる状態をつくる方法」をお伝えします。
私自身、調剤薬局で働く30代の薬剤師です。煽って転職させたいわけでも、「石の上にも三年」と言いたいわけでもありません。ただ、モヤモヤを放置するのがいちばん危ないと思っているので、一緒に整理していければと思います。
目次
転職の方程式「D×E>R」とは?──モヤモヤを3つに分解する

まず、方程式の全体像から見ていきます。
| 記号 | 意味 | 薬剤師の言葉に翻訳すると |
|---|---|---|
| D(Dissatisfaction) | 不満 | 給与・人間関係・裁量のなさ・成長実感の欠如 |
| E(Employability) | 転職力 | 市場での経験値+「自分を語る力」 |
| R(Resistance) | 抵抗感 | 家族の反対、収入ダウンへの恐怖、変化そのもののストレス |
D(不満)とE(転職力)を掛け合わせた値が、R(抵抗感)を上回ったとき、人は転職行動を起こす。『転職学』の12,000人調査から導かれた構造です。
ここ、迷いやすいところです。「D×E>Rだから転職すべき」と読みたくなりますが、そうではありません。この式の目的は自分のD・E・Rがいまどのあたりにあるかを把握すること。つまり、現在地の確認ツールです。
でも、方程式とか言われても感覚でしかわからないんですが…

オカメインコ

ポッポ先生
大丈夫です。次のセクションから一つずつ棚卸しの方法を見ていきます。”名前がついた”だけでも一歩前進ですね。
「理屈はわかるけど、転職って結局”えいや”で決めるものでは?」──そう思う方もいるでしょう。実際、日本の転職の約8割は”不満ベース”で始まるという調査結果があります(『転職学』)。感情が先に来ること自体は普通です。ただ、感情だけで走ると「煽られて→焦って動いて→後悔する」という悪循環に陥りやすい。だからこそ、まず認知(=整理)から始める。私ならまず、D・E・Rの3文字を付箋に書いて、薬歴棚の横に貼るところから始めます。
D(不満)の棚卸し──問題は不満の”強さ”より”変わらなさ”

いまの不満を3つ挙げてください、と言われたら即答できますか?
多くの方は「なんとなくつらい」のまま放置しがちです。でも棚卸ししないと、判断のしようがありません。
『転職学』の調査によると、一般就業者は平均で4.03個、1年以内に転職した人は平均6.70個の不満を抱えていました。そして注目すべきは、「一般的に抱きやすい不満」と「転職につながりやすい不満」が別物だという点。前者の上位は給与や昇進。後者の上位はハラスメント、サービス残業、組織全体の雰囲気の悪さです。
薬剤師の現場に翻訳すると、処方箋枚数の過多、慢性的な人員不足、薬局長との関係、裁量のなさ、在宅業務の偏り──このあたりが思い浮かぶのではないでしょうか。
問題は不満そのものではなく、「その不満が将来にわたって変わらない」と感じること
『転職学』では「不満の不変性認知」と呼んでいます。調査データでは、不満が「変わる見込みがある群」は、不満が強くても離職意向が低い。一方、「変わる見込みがない群」は、不満の強さに比例して離職意向が上がっていました。
つまり「つらいかどうか」より「この先も変わらないと思うかどうか」のほうが、判断に直結します。
どうですか? いまの不満は、一過性のものですか。それとも構造的なものですか。
「職場の重さ」チェック
自分の職場が構造的に変わりにくいかどうか、簡単にチェックしてみてください。
| チェック項目 | 該当する場合の意味 |
|---|---|
| 提案しても「前からこうだから」で終わる | 意思決定が重い |
| 人事異動がほぼなく、顔ぶれが何年も固定 | 人の入れ替わりが少ない |
| 会議で決まったことが現場で実行されない | 合意形成が形骸化 |
| 薬局のレイアウトや機器がずっと同じ | 環境変化への投資が少ない |
ここ、心当たりありませんか。4つ中3つ以上に該当する場合、不満が「変わらない」と感じやすい構造が職場に埋め込まれている可能性があります。
正直、全部当てはまります…。でもどこの薬局も似たようなものでは?

オカメインコ

ポッポ先生
“どこも同じ”は、確認していないだけのことが多いです。従業員500〜2000人規模の中規模企業がもっとも”重い職場”になりやすいという調査結果もあります(『転職学』)。規模や業態が変われば構造も変わりますよ。
E(転職力)は2種類ある──スキルだけでは足りない理由

あなたの転職力は?と聞かれたら、何を思い浮かべますか。認定薬剤師の取得、管理薬剤師の経験年数、在宅の実績──おそらくそのあたりでしょう。
『転職学』では、E(転職力)を2つに分けています。
| 種類 | 内容 | 薬剤師的な例 |
|---|---|---|
| ステータスとしてのE | 資格・知識・経験年数 | 研修認定薬剤師、がん専門薬剤師、管理薬剤師経験 |
| アクションとしてのE | 自己認識+それを伝える力 | 「自分に何ができるか」を相手視点で言語化できる |
多くの転職本はステータスEばかり扱いますが、調査で転職後の満足度に強く影響していたのはアクションEのほうでした。特に「内面的自己認識(自分の強みを理解している)」と「外面的自己認識(他者から自分がどう見えるか理解している)」の両方が高い人が、選考通過率も転職後の満足度もいちばん高いという結果が出ています。
それってつまり、スキルがあっても”伝え方”がダメだと意味ないってこと…?

オカメインコ

ポッポ先生
端的に言えばそうです。”在宅経験3年”と書くだけでは相手に刺さりません。”在宅対応で多職種との連携を通じ、処方提案の幅を広げた”と書けるかどうか。ここが差になります。
「そもそも薬剤師は資格職なんだから、スキルで勝負できるでしょ」──その気持ちもわかります。たしかに薬剤師免許は強い武器で、有効求人倍率も他職種より高い状態が続いています。ただし近年は薬剤師数の増加と調剤報酬改定で、”免許だけで安泰”とは言い切れない状況が見え始めています。だからこそ、ステータスEとアクションEの両輪を意識しておくのが安全です。
現場だとここで詰まりがちです──「職務経歴書に書くことがない」と感じるのは、自分を過小評価しているだけのことが多いです。私ならまず、出さなくていいから職務経歴書を下書きしてみます。書けない部分が「自己認識の穴」です。
R(抵抗感)の正体──「怖い」の中身を分解する

転職したい気持ちがあるのに動けない。その”ブレーキ”の正体、言葉にできますか?
R(抵抗感)は大きく2つに分かれます。
社会的理由──「薬局業界は狭いから噂が回りそう」「管理薬剤師を引き受けたのに辞めるのは無責任では」。世間や業界の空気から来るプレッシャーです。
個人的理由──「いまの年収を手放すのが怖い」「子どもが小さいから今は無理」「6年制で学費もかけたし…」。行動経済学でいう現状維持バイアスやサンクコスト効果がここに絡みます。
精神科医の夏目誠氏らの調査では、「会社を変わる」はストレス要因ランキングの6位。前後は「夫婦の別居(5位)」と「自分の病気や怪我(7位)」です。怖いと感じるのは、おかしなことでも弱いことでもありません。それくらい、大きな心理的負荷がかかる行為です。
パートナーの存在も大きい。『転職学』の調査では、男性がパートナーに反対されて転職を中止するケースは全体の6.0%。子どもがいると約3.2倍に跳ね上がります。薬剤師の場合、世帯収入のバランスに直結するので、家族の反応が気になるのは当然です。
正直、子どもが小さいから今は無理だと思ってます…

オカメインコ

ポッポ先生
“今は無理”という判断自体が、立派な判断です。押さえたいのは、Rが高いこと自体は悪くないという点。”なんとなく怖い”で止まっているときが問題なんです。
誤解されやすいので先に言うと、「怖いから動かない」と「怖さの中身を分解したうえで、今は動かないと決める」はまったく別の判断です。後者は「転職しないという積極的な選択」であり、『転職学』でもそう位置づけられています。Rが高い人にとっては、「いまの職場で管理薬剤師として2年経験を積んでから動く」のように、時間軸を引いた戦略が合理的な場合も多い。しないほうが安全なケースだってあります。
診断結果別の処方箋──D・E・Rのバランスで「次の一手」が変わる
ここまで読んで、自分のD・E・Rはなんとなく見えてきましたか? パターン別に、次の一手を整理してみます。
| パターン | 状態 | 処方箋 |
|---|---|---|
| D高・E高・R低 | 不満が強く、転職力もあり、障壁が少ない | すでに動ける状態。ただし不満”だけ”の動機は転職後の幸福感につながりにくいので、「何を得たいか」を言語化してから動く |
| D高・E低・R低 | 不満が強いが転職力に自信がない | まずアクションE(自己認識)を高める。職務経歴書の下書き、転職サイトで相場観を掴む |
| D高・E高・R高 | 不満も転職力もあるが家族や環境の制約が大きい | Rの中身を分解し、「半年後に動けるよう準備する」タイムライン設計を |
| D高・E低・R高 | もっとも苦しいパターン | 一人で抱え込まず、「安心屋さん(共感してくれる人)」と「緊張屋さん(率直な意見をくれる人)」の両方に相談 |
| D低 | そもそも不満が低い | 転職の必要性は低い。ただし「不満がない」と「成長が止まっている」は別。勉強会や学会参加で刺激を入れてみる |
『転職学』の調査では、「不満を解消したい」だけの動機では転職後の幸福感が低いことがわかっています。幸福感につながっていたのは「社会的意義を感じたい」「スキルを向上させたい」といった前向きな動機でした。不満ベースで始まること自体は普通ですが、そこに「この先どうなりたいか」を追加できるかどうかで、転職後の景色が変わります。
D高・E低・R高って、まさに私なんですけど…一番キツくないですか

オカメインコ

ポッポ先生
たしかに一人では動きにくい状態です。でも”動けない”のと”準備できない”は違います。Eを少しずつ上げていけばバランスは変わりますよ。焦らず、まず一つだけ。
「表を見ても自分がどこに当てはまるかよくわからない」──そうですよね。D・E・Rは数値化しにくいものなので、”だいたいこの辺”で構いません。大事なのは正確な診断ではなく、自分の状態に名前がついたこと。名前がつくと、次の一歩を考えやすくなります。
次の一手──無料でできる情報収集からはじめよう
方程式がわかった。パターンも見えた。でも、明日何をすればいい?
ハードルが低い順にまとめます。
| STEP | アクション | 目安時間 |
|---|---|---|
| 1 | 転職サイトに登録して求人を“見るだけ” | 30分 |
| 2 | 職務経歴書の下書きを書く(出さなくてOK) | 1〜2時間 |
| 3 | 信頼できる人に話す | ── |
| 4 | 転職エージェントに相談する(応募しなくてOK) | 1時間 |
| 5 | 応募する | ── |
STEP1は「応募」ではなく「偵察」です。自分の条件で何件ヒットするか確認するだけで、DやEの見え方がだいぶ変わります。いまの状況だと、通勤電車や昼休みの10分でもできるはずです。逆に言うと、その10分すら取れないほど忙しいなら、それ自体がDの棚卸し材料になります。
STEP3で大切なのは、「安心屋さん」と「緊張屋さん」の両方に相談すること(『転職学』第3講)。安心屋さんは共感してくれる相手。不安を吐き出す場です。緊張屋さんは率直に意見をくれる相手。耳が痛いフィードバックをくれます。どちらか片方だけだと、「慰められて終わる」か「追い詰められて終わる」になりやすい。
やりがちだけど危険なパターン
- 不満が爆発した勢いで退職届を出す──感情先行の典型です
- 求人を見ないまま「どうせ無理」と決めつける──学習性無力感かもしれません
- 一人で完結しようとする──孤独な転職はリスクが高いことが調査でも示されています
STEP1の”見るだけ”なら、今夜からでもできそうです

オカメインコ

ポッポ先生
そうですね。偵察するだけで”次の一手”が具体的になりますよ。
まとめ──「辞める・辞めない」の前に、判断できる自分をつくる

「辞めたい」と「怖い」が同居するのは、感情が間違っているのではなく、整理ができていない状態です。D×E>Rで分解すれば、「いま何が足りないか」「次に何をすべきか」が見えてきます。
転職の正解は「辞める/辞めない」の二択ではありません。「判断できる状態をつくる」ことがゴールです。
感情で走るのではなく、認知から始める。それだけで、勢い退職も塩漬けも避けられます。
- 今日やること:自分のD・E・Rを、それぞれ一言で紙に書いてみる
- 今週やること:転職サイトに1つ登録して、条件を入れて求人を眺めてみる
自分の条件に合う求人の”相場観”をもっと詳しく知りたい方は、薬剤師向け転職サイトの比較記事もあわせて参考にしてみてください。
参考文献:中原淳・小林祐児・パーソル総合研究所『働くみんなの必修講義 転職学』(KADOKAWA, 2021)


